大崎イエローページ

【宮城大崎の事前取扱説明書】17年3月11日の更新分からから下記サイトに
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赤穂浪士凱道8

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脇道からまた元の本堂に戻る。このみちはそのまま行くと有楽町駅方面になるのでしょう。しばらく歩いて築地3丁目交差点で左に曲がり、今度は新橋駅方面に向かって進んでゆきます。何となく人通りが多くなったような気がします。しばらく進むとひだりに築地本願寺の大きな建物が現れてきます。聞いたことがありましたが今までは見たこともないような大きな建物ですね。多くの人が出入りしています。

この敷地内に入り左側に進むと 間新六供養塔 があります。浪士は泉岳寺とおもいきや間新六はなぜここにあるのか不思議ですね。

外部リンク:間光風
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%93%E5%85%89%E9%A2%A8Link

築地本願寺を過ぎたあたりで今度は右に曲がって歌舞伎座の方面に進み、その歌舞伎座の手前を左に曲がり新橋駅を目指して進むのですがここからは地図と周囲を見ても今どのあたりにいるのかまったくわからなくなりました。この通りから一回右に回って新橋駅を目指すのですがよくわかりません。

どうしようかとうろちょろしていたら少し先に 汐留駅口 がみえて、あれちょっと方向を間違えたかなおもいまたうろちょろしてましたが、やむえず駅に行って新橋駅を探そうと思って進んでいったらここが新橋駅の1つの入り口であったことに気づきだいぶ慌てたなと感じ入ってしまいました。

アルバムアドレス
 http://oosaki.main.jp/wp7hist/?p=384Link

間新六供養塔[/caption]







旧奥州大崎新旧自由形の赤穂浪士凱旋道記事部分リンク
  http://oosaki.main.jp/f-histfree/index.php?mode=category&aim=5aSn5bSO44Gu6KGX6YGT-E/6LWk56mC5rWq5aOr5Yex5peL6YGT-ELink


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— posted by その名はF at 06:56 am  

赤穂浪士凱道7 浅野内匠頭屋敷跡

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堀部安兵衛の屋敷跡からまた南の高橋まで戻り、亀島川に沿って南下します。旧安兵衛屋敷跡から概ね10分前後あるくと右側に鉄砲洲稲荷神社が見えます。案内板などによると元の位置から少し移転したらしいですね。ちょっと変わった名前の神社ですね。

さらに神社から十数分歩くと右側に聖路加国際病院の建物が有り、建物を過ぎたら道を右折します。この道の方向先は有楽町あたりになるのでしょうか。なかなか道順がよくわかりません。

建物を右折してしばらく歩くとまずは慶應義塾発祥の地の碑が見えてきます。さらに立教学院発祥の地の碑があります。さらに進んでゆき交差点の右側には芥川龍之介誕生の碑があり、さらにその隣近くには浅野内匠頭屋敷跡の碑があります。この近くに屋敷を構えていたのですね。江戸城まで歩いてもそんなにかからないのではないでしょうか?

ちょっとした脇道から戻り先ほどの道を築地交差点方向に進んでゆきます。





記事アドレス

http://oosaki.main.jp/wp7hist/?p=166Link
















 
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— posted by その名はF at 07:12 am  

映像:近郊街道、旧跡等 赤穂浪士凱道6

CM151112-131416002s

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今回亀島橋の手前で寄り道をするのは堀部安兵衛の屋敷跡です。亀島川の上流に進むように右折してちょっと進むと左に亀島橋があります。その橋のたもとに写真のごとくの堀部安兵衛の屋敷跡があります。おそらくまだ中山と名乗っていた頃の屋敷跡ではないかと推定してますがはたして・・・・・・

もしこの屋敷跡から決闘高田馬場といわれるところまで10Km前後あるのでしょうか?歩けば2時間以上、駆けた場合でも1時間以上かかるでしょうか?
さあに驚くことにはその亀島橋の袂には銀座の柳四世があると同時に松尾芭蕉が読んだといわれる句碑があります。芭蕉さんがこの界隈にいたことがわかりますね。
さてまた今まで来た凱旋街道に戻って亀島川をわたり左折してなんかします。

映像あるいはアルバムアドレス

 http://oosaki.main.jp/wp/?p=1708Link
















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— posted by その名はF at 06:59 am  

赤穂浪士凱道 芭蕉稲荷神社と芭蕉記念館


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江島杉山神社の道をそのまま進んでゆくと右に見えるちょっとした橋を過ぎると今度は右側に芭蕉記念館がありますのでそこに入ってみました。芭蕉の経歴などいろいろと紹介されています。また芭蕉がこの近くに庵を結んでいたといわれています。そこをでてすこしすると今度も右側に芭蕉稲荷神社があり、芭蕉稲荷神社と隣り合うように芭蕉庵史跡公園があります。このあたりは赤穂浪士凱道と夕よりは芭蕉史跡がいっぱいといった方がいいのでしょう。
松尾芭蕉さんは1694年頃になくなっており赤穂浪士の討ち入りは1703年頃ですので芭蕉さんが亡くなった後10年後くらいのことですね。浪士の行列のさなか芭蕉さんの話題は出なかったのでしょうか?ちょっと気になりますね。
芭蕉庵史跡公園をあとにしてさらに道なりに進んで萬年橋を渡ったら右折して隅田川沿いに進んでゆきます。墨田川手前で左折してなんかしてゆきます。
何しろこの道路には橋があっちこっちにあります。何が何だかわからなくなってしまいそうです。

映像アドレス&アルバム
 http://oosaki.main.jp/wp/?p=1105Link













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— posted by その名はF at 06:54 am  

赤穂浪士凱道3 一の橋から芭蕉記念館

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両国橋の手前で左折した浪士は左に隅田川を見ながら南下してゆきます。近郊全体図から見ればこの両国橋を渡ると幕府お膝元の江戸城が近くに感じられ、またこの隅田川を幕府側からの防御として位置づけるため手前で曲がったのでしょうか??が、当初討ち入り後上杉勢と戦うようになれば見事討ち死にする覚悟なら防御も必要なかった??このあたりはよくわかりませんね??
道の左側を歩いて行くとすぐに小さな橋が有りちょっとした案内板などが有ります。案内板によると竪川から一番目に隅田川の橋なので一の橋と命名されたようで、赤穂浪士が討ち入り後一番目にわたった橋でも知られています。
一の橋を渡ってすぐ左側に江島杉山神社が有りその旧跡由来の案内板が見受けられます。
さらに南下しますと右側に橋が有り数分進むと右側に芭蕉記念館があります。
中に入ると芭蕉のいろいろなことが掲示されています。やはりこの土地ならでのことですね
芭蕉は奥の細道に旅立つ前はこの深川と呼ばれるところに住んでいたと言われています。旅たちの日芭蕉はこの近くから船に乗って奥州街道千住宿の千住大橋の近くまで渡ったも言われています。歩いてみるといろいろな旧跡に当たるものですね!
アルバムアドレス
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— posted by その名はF at 06:49 am  

奥州街道江戸から最初の宿場? 千住宿 東京北千住近郊


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日光街道で江戸から第一番目の宿と言われています。芭蕉は朝早く両国方面からここに来て奥の細道に出立したものと思われます。将軍の日光参拝などで奥州街道の名より日光街道の方が一般的だったのでしょうね!一里塚跡、高札所跡等もあります。
この記事のアルバムアドレス
 http://oosaki.main.jp/f-histfree/index.php?UID=1483774382Link
テスト用アルバムアドレス:
 http://oosaki.main.jp/wp/?p=236Link
記事関連の参考内容
 外部リンク:千住宿 - Wikipedia
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E4%BD%8F%E5%AE%BFLink
 外部リンク:近郊地図
  https://goo.gl/maps/HqyCt5Bzw5tLink
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— posted by その名はF at 06:47 am  

映像:奥州街道岩沼市 二木の松


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旧奥州街道岩沼市には街道からちょと離れていますが二木の松があります。又JR岩沼駅からも近くです。
映像アドレス
 http://oosaki.main.jp/o-movblog/index.php?UID=1480064304Link
アルバム
 http://oosaki.main.jp/f-histfree/index.php?UID=1480155612Link
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— posted by その名はF at 06:46 am  

大崎近郊奥州街道 岩沼の中心街


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しばらくは道なりに進み聖徳太子堂を過ぎ岩沼桑原郵便局を過ぎたところを突き当たったら左折します。道なりに進み突き当たったら今度は右折し、ちょっと進むと又突き当たりますので左折します。このT字路が左奥州街道で右が浜街道となります。ですから左折して岩沼中心街に入ります。
ちょっと歴史がありそうな建物がでてきて、道左側に岩沼小学校がちょっと見えるあたりに懐かしの奥州街道案内碑が建っています。下手すると見逃してしまいそうな感じですが。
ちょっと進むと左側に (株)相傳商店 の穂ふうな感じの建物が見えてきます。その先の交差点を左に曲がると岩沼駅で、まっすぐが奥州街道です。
岩沼中心街から北の奥州街道は前に掲載していますので今回はここまでです。
アルバムアドレス
 http://oosaki.main.jp/f-histfree/index.php?UID=1479545172Link

これで宮城県と福島県境界から北の栗原市有壁駅まで完了し残す葉有壁駅から岩手県一関市までが宮城県で残っています。折を見て追加してゆきたいと思っています。

奥州街道県名取岩沼等
 http://oosaki.main.jp/f-histfree/index.php?mode=category&aim=5aSn5bSO44Gu6KGX6YGT-E/5aWl5bee6KGX6YGT55yM5ZCN5Y-W5bKp5rK8562J-ELink
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— posted by その名はF at 06:59 am  

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