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[ カテゴリー » 小野小町 ]

映像:古川の小野小町伝説はどうなる?東松島市 馬歴神社


大崎藩イエローページ画像東松島市にも小野小町伝説があります。場所は東松島市桜渡戸でこの地名の出生になったようだと言われています。松島湾からはちょっと奥まっています。45号線サイドですぐに見えます。
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こうなってくると小町は松島によってそれから玉造の方に歩いてきたのでしょうか?多賀城からここまでは奥の細道松尾芭蕉の歩いたルートと同じくらいになってくるのでしょうか?
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外部リンク:小町を訪ねて三千里(2)|いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~
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外部リンク:東松島市 馬歴神社 場所
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古川の小野小町伝説はどうなる?東松島市 小町石
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古川近郊の小町旧跡アルバム
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東松島市 馬歴神社映像アドレス
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東松島市 馬歴神社アルバムアドレス
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— posted by 探題代行士 at 06:55 am  

古川の小野小町伝説はどうなる?東松島市 小町石


大崎藩イエローページ画像お隣東松島市に小町石があります。案内によると小町がこの石に腰掛けて休息したとか!さすが小町さんと言いたくなりますね。そういえば古川にも小町が腰掛けた 腰掛けの松 があった等とも聞いたような・・・・・・
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この小野地区の命名はこの小町の旧跡によるものと言われています。松島に小町の旧跡があると言うことは小町が東北に来たと仮定した場合はこの松島経由で古川から秋田の雄勝を目指していたのでしょうか?
いつ頃来たのでしょうか?というのは小町さんが870年(推測年齢小町さん50歳前後)頃来たとすれば松島ではとんでもないことになったのでしょうね!そのころ松島ってどうだったの?松島ができたのは・・・・・・・・
東松島市 小町石アルバムアドレス
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古川近郊の小町旧跡アルバム
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場所 東松島市小野
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— posted by 探題代行士 at 06:52 am  

映像:小野小町伝説はどうなる?古川の通小町伝説は後からつけられた??


大崎藩イエローページ画像さてここで気になるのが古川の通小町伝説です。古川の小町伝説は今まで掲載してきましたどくろ伝説と同様に通小町伝説もあります。どくろ伝説は今まで掲載してきた経緯でどのように成立したかわかると思いますが
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この通小町伝説はなかなか資料が探せませんでした。ので今までの調べた範囲内で推定してみたいと思います。通小町伝説は添付写真にありますように100日間病回復のため通ったとゆう伝説で各地にあります。近郊では松島にもあります。添付写真にあるがごとく現在の道からした場合旧お墓位置からは1時間弱でしょうか?
この伝説内容は小町の墓にある旧古川市が掲示した小町伝説の案内板にあります。
がこの古川の通小町伝説は今まで掲載してきました古文書でも探せませんでした。また江戸時代の伊達のお殿様の巡回記録の中でも通小町の伝説は探せませんでした。とゆう事になればこの通小町伝説はさらに後にできたと推察できないこともありませんね!
この推察に従ったとすればどくろ小町の亡くなった様子としてこの通小町伝説ができたと思われても仕方ないのでしょうか??ただ伝説とゆうものは必ずしも文書などの中に残っているとは限らないので難しいところですね!現状からすれば後付として成立したと思わざる終えませんが・・・・・
古川夜烏の郷場所地図
 https://goo.gl/maps/A6rrmQXhoVN2Link
小町髪洗い池映像 古川氷室
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小町髪洗い池 古川氷室映像アドレス
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アルバムアドレス
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— posted by 探題代行士 at 06:54 am  

映像:小野小町伝説はどうなる?ついに出た夜烏の郷(大崎市古川)


大崎藩イエローページ画像 小野小町が亡くなった場所で大崎近郊で最後の場所がこの夜烏の郷です。大崎市古川新田近郊にあります。現在は小野小町のお墓の石碑が建っています。
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不思議なことに小町が亡くなった後約600年たって今度は古川の夜烏の郷が指定されました。なぜ長い間出てこなかったのが??
1700年代前半でしょうか仙台藩のお殿様が地方視察に出て近郊で小町の墓があるとしり、その後取り巻きの人が調べて玉造の小野で小町が亡くなったとでも古書で調べたのでしょうか?その以後しばらくして石碑ができたとか?ちょっとはわかりませんが最初にたった石碑と現在の石碑の位置は少し離れています。このように移動することは他でも時折あるのではないでしょうか?
ただ残念ながらなぜここと断定したかはわかりません??しっかりとしたものでしたらまだまだ早い時点で歴史に現れてきてもよかったのではないでしょうか?なにしろ室町時代大崎近郊は奥州探題の本拠地でしたからね。
この石碑の近郊は昔から名生遺跡、宮沢遺跡を初め色麻柵、城生柵等もあり、さらに近郊には にとり(玉造)軍団等 も配置されており、古代の大崎近郊の蝦夷対応の最前線だったと思われますし、小町が雄勝町に行く道(羽後街道?)に近い位置です?のでこの近郊に小町さんが来たとしても不思議ではないのですが??
蛇足ですがこの夜烏の郷の命名は坂上田村丸氏とも言われています。夜烏の鳴くところで食料を探したら出てきたとか??あるいは業平が来て小町のどくろを見た夜は烏がいっぱい泣いていたとかもあります。また一部には1200年前後に命名されたとも言われていますが今となっては・・・・・・かなり早い時点で名前があったのでしょうか?またどこの範囲が夜烏の郷だったのでしょうか?これも今となっては・・・・
まあよくぞ仙台藩が勇気を持って特定してくれたと言うことでしょうか?
以後近郊では小町と言えば 夜烏の郷 で当時は流行語大賞にでも・・・・・・
しかし大崎近郊では夜烏の郷でもこれが秋田に行くと雄勝町は小町の代名詞ですね!ここでは小町のすべてがあります。
どっちが本当なのでしょうか?神様に聞いてみないと・・・・・・・
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夜烏の郷(大崎市古川)映像アドレス
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夜烏の郷(大崎市古川)アルバムアドレス
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— posted by 探題代行士 at 06:55 am  

映像:小野小町伝説はどうなる?あの八十島はどこ?

大崎藩イエローページ画像 やはりこの八十島も現在どのあたりなのか定かでありませんので推定してみました。この小町の亡くなった場所として出てくるのは伊勢物語の影響が大きいのでないかと言われています。この場合の話は宮城県の塩竃近郊でないかとも言われています。となるとこの近くで島が多いと言えば松島になるのでしょうか?
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ただ業平がここまで来たのかどうかは定かでないとも言われていますが?いずれにしてもこの話もお話の上なのでしょうか?
八十島は当時和歌などによく使われ島の多いことを指していると思われます。八十島と言えば今ひとつ秋田の象潟が言われていたようですが陸奥のとあるのでこちらは当時からすでに出羽国だったので除外されるのでしょうね!
 陸奥とは別ですが大阪近郊に八十島と言われたところがあるようです。また大阪にはいまでも玉造と言われる地区がありますね。地図などで調べればわかるはずです。
さらにこの大阪近郊平安時代に八十島祭があっったようです。天皇が新しくなったときこの祭りが行われたようです。近郊に八十島と呼ばれる何かがあったのでしょうね?このような祭りには巫女さんがでてお祈りをしたりしますね。巫女さん=小町だったりして??
 さらに小野小町と深い関わりがあったと言われる 小野 筧 が隠岐に流された時に詠んだ歌に
 わたの原 八十島かけて こぎ出でぬと
   人には告げよ 海人の釣り舟
があります。瀬戸内のどこかだったのでしょう。この歌あたりも八十島が出てきた1つのヒントでなかったでしょうか?だが陸奥ではないですね!
 が江家次第などに出てくる陸奥の八十島は 話の真偽 を別にすれば宮城県の松島近郊でなかったかと推測されますが??はたしてどうでしょうか?
が、松島ってこの頃あったの?
松島
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松島アルバムアドレス
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— posted by 探題代行士 at 06:57 am  

小野小町伝説はどうなる?玉造の小野とは?

小野小町伝説はどうなる?玉造の小野とは?
大崎藩イエローページ画像 今まで出てきた古文書は玉造の小野をある特定の場所していたのかどうかわかりません。しかし玉造郡は700年代半ばにはあったようで当時の東北縦貫の位置にあり蝦夷対応の軍団などはこの縦貫道を北上したものと思われ、玉造郡には名生官営跡等がありある程度都との行き来があり一部の人には知られていたものと思われます。
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それが玉造小町の玉造がこの場所に当たられたと思われますが。ただ小野(名字=出身地の考え方??)地区が当時あったのかどうかはわかりません。
当時現東大崎は玉造郡に入っていたと言われています。ですからお墓のあった現新田が玉造郡内と思われていても不思議でありません。
がさらにそのほかいわでやまには小野松地区があったとかいわれ、元の小野の部落名が小野松に変わったのでないかともいわれています。
不思議なことに小野小町碑の近くには 子松神社 があります。大変古い神社で小町の頃からあって こまち神社 でなかったなどとも噂話がありますが・・・・・
といっても玉造の小野はここと断言できそうにもないですね!
その 子松神社 の案内ページに 玉造の小野松がちょっと見えます。下記参照願います。
 外部リンク:宮城県神社庁 || 神社検索 ||
  http://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310010120Link
では陸奥の八十島とはどこなのでしょうか?
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— posted by 探題代行士 at 07:08 am  

小野小町伝説はどうなる?陸奥八十島と玉造の小野のさらなる出典元は?


大崎藩イエローページ画像 前回陸奥八十島と玉造の小野が現れる古文書などを掲載しましたが、ではそれら小町の死後200年ないしは300年たっています。
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それらの古文書にも出典元があったのでないかと調べてみました。それらを掲載図にまとめてみました。このなかで玉造小町子壮衰書と伊勢物語が大きな影響を与えたと言われています。玉造小町子壮衰書はおごれるものは久しからずの栄枯盛衰を表し、伊勢物語はある男としているものの在原業平を想定しているようです。その中の一部の女の陸奥の八十島話が小野小町が当てられていると言われています。またどくろ話は日本霊異記ににているような話があると言われています。これらが組み合わされて江家次第になったのでないかと言われています。これが後々まで影響を与えていたようです。
また玉造の小野は玉造小町子壮衰書による影響でないかと言われています。
っかくしてめでたく小野小町の墓が玉造の小野になってきたという次第ですが・・・
しかし200,300年後のことで、それ以前の出典は探せませんでした。
陸奥八十島と玉造の小野はどこなのでしょうか?
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— posted by 探題代行士 at 07:02 am  

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